大ちゃんの死―生きていることは当たり前のことではない―
1週間前、大ちゃんが亡くなった。突然だった。
大ちゃんは島の小学校に通う6年生。
自閉症を患っていたようだったが、実家の商店のレジ横にいつも座って色々と話してくれた。
お客さんも「大ちゃん元気にしてるかー」と気さくに大ちゃんに話しかけるし、バイクで店の前を通ると、店の中からガラス越しに手を振ってくれた。
お母さんと一緒に毎日自転車で島の中を走っていたりと、ハンディキャップをあまり感じさせなかった。
この数日前、私の息子がゆくゆく入ることになるであろう小学校の特別支援学級について島の子どもたちにその様子を聞いていた。
荘ちゃんというダウン症の子が島にいることも知っていた。
「今6人ぐらい入っている。」
「小さいころから一緒やからいじめもないし、大ちゃんも荘ちゃんもみんな楽しそうにしてるよ。」という言葉を聞いて心底安心した。
本人が楽しそうにしているなら何も問題ない。
同級生は10人程度で、幼稚園から一緒だからいじめも少ないのだろう。
これは島暮らしのいいところだと思った。
ちょうどそんな話をしていたから、大ちゃんの死には衝撃を受けた。
子どもたちに聞くと、大ちゃん自身も「もうすぐ中学生になれる」と喜んでいたらしい。
死因は腸炎。嘔吐があり、お尻からも出血したので、島の病院に連れて行ったところ急を要するということで、船で大きな病院に行ったが1日たたずして亡くなったらしい。
親御さんの気持ちは察するに余りある。
商店は一昨日から開いているが、前を通るだけで心が痛い。かける言葉がみつからないから、入ることができない。
大ちゃん自身も痛かっただろう。苦しかっただろう。
生きていることが決して当たり前のことではないと感じた。
とにかく生きていることがありがたい、と。
島のおばちゃんとも話したら全く同感だったようで「子どもの顔がいいとか、頭が悪いとか、どうでもいいことかも知れん」と言った。
本当にその通りだ。
大ちゃんが天国で安らかに過ごし、みんなを見守ってくれることを祈ります。
大ちゃんがいたことを忘れないようにいたい。