島暮らしと育児の日記

Iターンで島暮らし、起業、結婚、ダウン症児の育児で考えたこと

医者の傲慢に思える

うーーーん。なんとなく釈然としない。納得できない!

前からここにも書いているように、検査の日や手術の日が直前にしかわからずモヤモヤした日々を送っていた。

そんななか昨日に、手術の日が明後日13日(金)に決まった。3日前だ。

すぐに13日の仕事は調整した。

しかし、前日12日にはあいにく仕事が入っている。視察にこられることが前から決まっていたので動かすこともできない。

そこに、妻を通して医者から「手術の説明をし、同意をいただきますので、12日は遅くとも18時までに病院に来てください」との通達があった。

新幹線とタクシーをつかい、早くても20時であれば仕事が終わって行くことができるので、その旨を伝えると「18時には業務が終わるので」と返答されたそうだ。

妻が電話で泣きながら「なんとか仕事の都合をつけて!」とお願いしてくる。

 

ここで、いくつかの釈然としない思いがフツフツと湧いてくる。

なぜ妻が僕にお願いする状況になっているのか?医者がお願いするのならまだしも。

僕だって飛んで行きたい。

だけど、ようやく軌道にのってきた、自分で立ち上げた仕事の大事なお客さんを無碍にはできない。自己都合のキャンセルなんて、一番信用を落とす。

まさしく『仕事をとるか家族をとるか』の状態にさせられてしまっている。

 

妻に「18時までにいけないとどうなるの?」と聞くと、「手術してくれないから死んじゃう」と泣きながら答える。

これでは人質をとられているも同然だ。

結局、18時にいけるように各方面に無理を言って都合をつけた。

お願いするわけではなく、有無を言わさず従わせる。このやり方が医者の傲慢に思えて仕方がない。

 

国内有数の病院で子どもの手術をしてくれることに感謝しているし、こちらがお願いする立場だということは百も承知である。医者というのは体力的にも大変で、それ以上に大きな責任があるから尊敬もしている。

しかし、僕もプライドを持って仕事をしている。その規模は非常に小さく、誰の命を救うわけではないが。

そういったことに配慮してくれない所にどうにも不信感を憶える。

カテーテル検査終了

チビnakが、2/6(金)朝一番9時前からカテーテル検査に入った。

僕は残念ながら島での仕事があり行けず。。

パソコンに向かいながら、まだかな、まだかなと、とにかく心配していた。気付けば、入院している病院の心室中隔欠損の執刀数まで調べていた。

東京女子医大での鎮静剤の過剰投与:(東京女子医大病院プロポフォール不正投与で63人中12人死亡、謝罪会見で因果関係調査へ | 日刊時事ニュース)もあっただけに、気が気でなかった。

生後2ヶ月のちいさな体に、足からカテーテルをいれるのは本当にかわいそうだ。

2時間ほどして、無事に出てきたと聞いたときは心底ホッとした。

 

詳しい結果はまだ教えてもらっていないが、1回の手術で済みそうな感じ。

手術後は経過観察のため、1ヶ月ほど入院する見通し。

あー、早く家族3人で、島で一緒に暮らしたいなーと思う日々。

カテーテル検査

チビnakの入院はいつになるのかとモヤモヤしていたところから、バタバタと入院して1週間。

今度は、検査はいつか、手術はいつになるのかとモヤモヤする日々。

島での仕事(イベントの準備や年度末にむけた事務作業)が忙しくあるから、早くにわかったら都合がつけられるのにと思いながら待っていたら、昨日心臓のカテーテル検査の日程が2/6(金)に決まった。

行けない。

急変の可能性もあるから夫婦そろって待機してもらうのが望ましいとのこと。

替わりに嫁の母に行ってもらう事にしたが、もしも本当に急な判断が必要になったら、あの2人は慌てるだろう。

そうなっては困る。遠くから祈るばかりである。

手術の日はなんとか都合をつけたい。

できるだけ早く教えてほしい。

母は強し

昨日、チビnakが検査入院した。

3日前の定期健診で伝えられてすぐのことだった。

前にも書いたように、いつになるのかモヤモヤしていたので少しホッとした。

最近はミルクの飲むのが遅くなっていたようなので、妻は夜中も3時間おきに、1時間かけて飲ましていたようだ。

そんな大変な思いをしていたのだから、妻も少しホッとしたとか、少しのんびりできるという気持ちがあるのではないかと思っていたが、全くそんなことはないようだ。

寝る前の電話で「隣に小さいのが、いなくてさみしい」と妻が泣いた。

正直、驚いた。労うために用意していた言葉を失った。

 

おなじ気持ちになったことが1週間前にもあった。

施設に入っていた100歳を超えたおばあちゃんが亡くなった。

母は、月・水・金と様子を見に行っていた。

自分の仕事もしながら、家のこともしながらだったので、わりと忙しくしていたと思う。

しかし、葬式が終わって母が言ったことは「おばあちゃん、見に行くことなくなったら暇になるわー」だった。

 

母は強し。

すぐにゆっくりしたくなる僕は弱いなー。

勇気づけられた本

チビnakが生まれた時、ダウン症とわかって2日ぐらいは泣いた。

だけど日が経つにつれて、抱っこをするたびにわが子が可愛くて、愛おしくて、ダウン症については受け入れることができた。

受け入れて、次に気になってきたことは、この子の成長過程や日々の生活についてどんなことが待ち受けているのかを知りたいと思った。

インターネットで調べても、「ダウン症の子が生まれたけどどうしよう」→「受け入れることができました。精一杯子育てしていこうと思います」という流れで、その後についてはあまり知ることができない。

日々の成長をブログにされている方も大勢いるが、もう少し時系列で知りたいと思って島外の大型書店で探したのが、以下の本。

ダウン症児の母親です!毎日の生活と支援、こうなってる」 

漫画家のたちばなさんがかなりハイテンションな感じで、日々のドタバタ疾走感を描いている。

1時間もあれば読めてしまう勢いのある本です。

その中で、最もためになったのは「告知」についての部分。

*ここでいう「告知」は、自分の周りの人たちにダウン症のことを話すこと。

この本を読むまで、告知された人も急に”ダウン症”と聞かされたら、言葉に困ってしまうということに気づかなかった。

自分の中で変な使命感があって、子どもについて聞かれたらダウン症もセットで話さないといけないような気がしていた。

でも、想像したら当たり前だ。

島では道端で声をかけられて「子ども生まれたんやねー!男、女どっち?おめでとー!!」と言われる。

そこで返す刀で「ありがとうございます。でも子どもダウン症で・・・」と言うと、相手も反応に困るわけで「残念」でもないし「気の毒に」とも言えないし、こちらも何を言ってもらっても気まずいし。。

ということで、子どもについて聞かれても、特にダウン症のことについては触れずに、成長とともにみんなにわかるだろうと納得して、少し心が軽くなった。

心臓の検査結果

1月15日、大きな病院で心臓の検査をしました。
心室中隔欠損の経過をみるためです。

僕は付き添いに行くことが出来ず、すぐに終わるものだと思っていましたが、朝の11時頃から夕方4時頃までかかったようです。
レントゲンをとられる時には、小さな筒状のものに入れられて、とてもかわいそうだったと妻が話していました。

結果は、8mmの欠損は小さくなっておらず、心臓も少し肥大しているため、生後3ヶ月までには手術をしましょうということでした。
離尿剤をもらって帰って来たようです。

今月末にも検査入院の予定ですが、空きがないようでまだ連絡がありません。
もしこのまま連絡がなければ、月はじめに検診を受けてからの話になります。
はっきりと予定がたたないので、なんだかもやもやの日々です。

心にグサッと来た言葉

いろんなところに言葉は転がっていますね。

時には、便所の落書きにもクスッとくることもあります。

暇つぶしにまとめサイトをみますが、今朝このスレを見てグサッときた言葉がありました。


料理できないから家政婦さん雇ってたら結婚を前提に告白された - VIPPER速報 | 2ちゃんねるまとめブログ

 

真偽はおいといて、内容は「32歳で付き合った経験もない男だけど、家政婦さんから告白された。どうしよう?」という話。

で、グサッときたのはここ。

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12の言葉。

「そもそも結婚自体が人生かけてするものだろ。自分の人生に逃げ道作る意味がないんだよ」

 

仕事も、結婚も、子育ても、自分あるいは自分たちで決めたことで、過ぎた出来事に対しては逃げ道ないんですよね。

結局後々まで残るのは、その時点の自分がどういう思いで、どういう決断を下したか、というものだけ。

”覚悟”というか”諦め”みたいなものが必要かなと思う。

どちらも似たような仏教用語だけど、とにかく、自分が置かれている状況と願望や希望、思いを客観的に照らし合わせて、最善だと自らが納得する方法をとるしか仕方ないと思います。